ひとりごと 〜 06/01

年が明けて平成18年、2006年戌年となりました。今年は年男です。何回目かはご想像におまかせいたしますが、何時までも若衆ができる役者でありたいと思っております。
今回も昨年末に提出のはずの「ひとりごと」をお正月元旦に書いております。今年もマイペースで書かせていただきますので、ご寛容に……。

昨年12月の顔見世興行は、久しぶりに京都らしい寒さの顔見世でした。とはいっても、舞台上は山城屋の兄さんらしい、華やかな舞台となり、客席も熱気に包まれていたように感じました。昼の部は一役でしたが、夜は三役続き、"拵え"に忙しい一ト月になりましたが、いずれも気心の知れた方々との演目でございましたので、気持ち良く一ヶ月間勤めさせていただきました。
夜の出番が、8時過ぎて終わるので、大好きな大市のすっぽんには行けず残念でございました。魁春は早く終わったので、いつもの元祇園お茶屋小森の小さいおかあさん達と食べに行きました。私もその日の食後におかあさんと会う約束でございましたので、近くの祇園町の中にあるお店で「ぶり鍋」をいただきましたが、これが大変おいしゅうございました。京都の楽しみが一つふえました。


お正月早々、悲しい話となってしまいますが、楽の日、音羽屋さん(菊五郎丈)が楽屋に来て「井上が今朝死んだ。」と言われた時の驚きはございませんでした。井上君(松助丈)は劇団が違い舞台では一緒になる機会は少なかったのですが、中学の同級生でもあり、飾らずに付き合える友人でした。一昨年京都の稽古中に具合が悪くなり、帰京しそれから一年の闘病生活でした。何度か見舞いに行きましたが、気弱になっていても、舞台に出たい気持ちだけはいつも持っていました。音羽屋さんが、11月演舞場に松助のために台本を直し出演できるようしてくれたことは、本人にとってどんなに嬉しいことだったか、本当に良かったと有難く思っております。同級生が逝くのは、…辛いです。


さて、明日は初日となりますが「伽羅先代萩」八汐で、久しぶりの女形です。梅玉になってからはお嬢吉三、「扇屋熊谷」小萩実は敦盛、「花桐いろは」劇中劇お夏と、女形の衣裳は着けても実は男の役ばかりでしたので、始めての女形となります。
初舞台(昭和31年1月)の翌月に父の政岡に、魁春の鶴千代で千松を勤めました。その時の八汐は小川のおじさん(先々代時蔵丈)で、舞台上では怖いのに普段は優しく気遣っていただいた思い出がございます。その後父の政岡を何百回と観ていて、八汐は何時かは演じてみたいと思っていた、憧れの役でございました。福助時代に松島を2〜3回いたしておりますが、その折の八汐は、二代目鴈治郎のおじさんでした。これが大変結構な八汐で、この八汐を目標に勉強させていただきます。山城屋の兄さんの政岡は父とは違ったなさり方でございますので、そこは兄さんのお指図で務めさせていただきます。私の初舞台、そして翌月の千松、鶴千代の兄弟の世話係の中の一人は歌江さんでしたが、今回の八汐の世話係も歌江さんです。50年たっても元気で面倒見てくれることに感謝です。衣裳を選ぶときも一緒に、というより歌江さんが選んでくれ、鬘合わせも立ち会ってくれました。稽古中は勿論のこと、着付け、鬘をのせるときも付いてくれています。父の舞台は全部覚えていて、周りの人の演技等も心得ており、家では掛け替えの無い大切な人です。
「口上」は先月より大人数でございます。お祝いの気持ちが伝わる口上をと考えております。
昼の部「鶴寿千歳」はご祝儀舞踊でございます。梅幸おじさんと父がなんとも優雅に踊られた記憶がございますが、負けずに、正月そして山城屋さんの襲名を祝って、時蔵さんと雅に舞いたく思っております。


来月は博多、2月の博多は寒いとのことですが、初めてで想像がつきませんので、どんな服を持って行くべきなのか持ち物に困っております。3月は休みになりましたが、4月は父六世歌右衛門の五年祭追善興行を歌舞伎座でさせていただくこととなりました。父の追善ということで、先輩、お仲間の皆さんが大勢出演をと言ってくださることが有難く、皆さまのそのお言葉で、親孝行をさせていただきたいと思っております。
父らしい華やかな興行となりますよう、応援ご見物の程、偏にお願い申し上げます。
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